メンバープロフィール


 山内 道美(今帰仁グスクを学ぶ会 事務局長)


 会のメーリングリスト管理人をしている、山内です。
 山内と書いてヤマノウチと読み、道美と書いてミチヨシと読みます。漢字だけだとよく女性と間違えられますのでまず最初に断っておきます。オトコです。

 生まれは日米安保ができた年、つまり今年3回目の成人式でした。
 子ども時代は京都と奈良で過ごし、神社仏閣ばかり巡っていました。体育会系でしたが仏像を静かに観るのが好きでした。
 大学時代は神戸で過ごし、ユースホステルと夜行列車を駆使して46都道府県を制覇?
 最後に残っていた沖縄との初めての出会いは1972年の2月、本土復帰の3ヵ月前、2ヵ月滞在し、その時の衝撃は大きく、必ず永住するぞと決めました。

 23歳で結婚。結婚して何が変わったって、それまでは100%一人旅だったのが、それ以降は100%二人旅になったこと。バックパックスタイルは変わりませんでしたが。
 40歳を過ぎたころ二人で自転車とクライミングを始め、シルクロードをウルムチから敦煌まで走ったり、キリマンジャロをウフルピークまで登ったりしました。青海湖から西安まで走ったとき、反対方向に走るひとりの中国人男性のことが忘れられません。郵便配達員をしていた彼は定年退職を機に、配達で使っていた普通の自転車でひとりラサを目指していたのです。野宿用の生活道具を自転車にくっつけて。どこから来たの?と聞くと「ウルムチから」アッチャー まだ半分、いやもう半分も、それよりこれから上りばかりじゃない。恐るべし。伴走車付きで走っている私たちの旅がとてもちっちゃく思えました。

 アジア協会(大阪)やPHD(神戸)などのNGOの支援活動でアジアの国々にもよく行きました。
 カンボジアで井戸掘りしたり、ウランバートルのマンホールチルドレンの支援をしたり、バリの村ではヤギの銀行というのもあったな。北タイのカレン族の村にホームステイした時には道路が通じると若者が村を去り、電気が通ると現金収入が必要になることも知りました。支援といっても実に難しい。