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世界遺産サミット〜世界遺産地域の連携と魅力
平成261024日(金)14001730
京都国際ホテル2階 二条の間

司会

開会10分前でございますが、今回のサミットに先立ち、9月29日から30日にかけ高野山にて、全国の地域リーダーによる「世界遺産観光地サミット」が開催されております。しばらくの間、世界遺産登録10周年を迎えた紀伊山地の霊場と参詣道での、民間ベースでの取組みの一例を映像にてご紹介させていただきます。

(紀伊山地の子ども語り部DVD放映)



 
一部

 司会

 ただ今から、世界遺産サミット − 世界遺産地域の連携と魅力発信を開催させていただきます。私は本日司会をつとめます、旅する世界遺産研究家・久保美智代と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます(拍手)。それでは最初に主催者を代表いたしまして、「世界文化遺産」地域連携会議会長の門川大作京都市長より一言ご挨拶を申し上げます。

門川・京都市長

 (拍手)みなさんこんにちは。世界遺産についての関心が国内外で高まっていますが、古都京都の文化財が登録されて20周年の時に、第一回の世界遺産サミットを京都で開催したいと呼びかけたましたところ、北海道から沖縄まで、世界遺産をお持ちの、また、世界遺産についての保存活用について献身的な取り組みをされている多くの方々にお集まりいただくことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

2年前に世界遺産条約40周年を記念する最終会合が京都で開かれましたが、ユネスコの事務局長をされた松浦さんが「ユネスコの条約で最も成功したのが世界遺産制度だ」と仰いました。世界遺産は文化遺産と自然遺産だけで世界で1007、国内で18の件数に及んでいます。これからさらに増えるでしょう。

しかし、課題がたくさんあります。特に日本の遺産の多くは木と土と紙でできています。これらは創建当時の材料や技術を受けつがなければ維持できないのです。その意味では、地域と連携して取り組むことが大事です。山で木が育つ、人々の匠の技がつながるということを考えると、とても危機的な現状です。

また例えば・・・残念ながら世界遺産・二条城の前に建っているこの国際ホテルは12月で閉店になります・・・苦渋の決断でした。由緒正しきホテルです。私が結婚式を挙げたのもここです(笑)。しかし今の建物は31メートル規制の時に建ったものです。二条城が世界遺産登録されたとき、バッファゾーンとしてこの地域は15メートル規制にされ、ホテルとしての建替えは難しいということになりました。寂しくはありますが、世界遺産とバッファゾーンを守りながら、維持していくのは並大抵の努力では叶わないということであります。

今日は21の市町村長にお集まりいただきました。率直な意見交換を公開の場で行い、専門家とともに考えて行動していきたいと思います。2年前の 40周年記念の最終会合では「京都ビジョン」が発せられましたが、世界遺産の過去、現在、未来をともども考えて議論していきたいと思います(拍手)

 司会

ありがとうございました。それでは開催地・京都より、今年49年ぶりの後祭復興という大事業を成し遂げられました公益財団法人・祇園祭山鉾連合会理事長の吉田孝次郎さんより、記念講演をいただきます。演題は「暮らしと観光と文化財」です。吉田理事長、よろしくお願いいたします(拍手)。


 (
記念講演 吉田孝次郎 公益財団法人祇園祭山鉾連合会理事長

 吉田理事長

世界無形遺産にもなった祇園祭の33の組織を統括している、吉田と申します。今日はまず、私が祭人(まつりびと)になったころのことからお話ししたいと思います。

かつて連合国と戦争して負けたことはもう忘れられているのかも知れませんが、私が小学校へ行ったのが戦争中の昭和19年です。山鉾風流の巡行、神輿奉行はできませんでした。昭和16年〜23722日にかけての当時の連合会長の詳細なメモ書きがあります。当時はパソコンがなかったため、唯一の記録です。それを読んで、先人たちの御苦労がいかに大変だったかを実感しました。

食糧難のころ、特別の配給枠を申請し、昭和17年まで、6百数十年の歴史ある山鉾巡行を先輩たちは格調高くされていました。当時、米が配給制度だったのは当然ですが、菜種油を一升という記述がありました。巨大な鉾を曳き出すときに、直径2メートルある車輪をうまく回転させるための潤滑油です。今はご存じの方は少ないでしょうが、伝統的に粘りの強い菜種油を今も使っているのです。昭和17年に、その菜種油を各鉾に1本ずつ配るのは大変なことでした。

昭和19年に小学校にあがった私は、20815日は強制疎開と言って、今の京都の五条通り、堀川通り、御池通りを作って、町並みを強制的に壊してしまうことで戦争の道路を確保しようという作業の真っただ中にいました。私は十八車という荷車を曳いて、手持ちの現場にいました。薪代わりになるものを、家に持ち帰るという大事な仕事でした。その作業の途中、放送を聴くために帰宅するよう指令があったのです。家長の祖父を中心に、放送を聞きました。小学2年生にして、国民の痛みや歎きが伝わってきました。

強制疎開の面白い話を一つしますと、建物の大黒柱を曳き倒す際の綱は、船鉾と長刀鉾の町内から消防団に提供され、鉾を曳く代わりに家を曳き倒す道具として使っていました。乱暴に扱われたため、鉾を曳くのに使い物にならず、綱を新調したりするのが大変でした。

そういうことから私の小学生時代がはじまり、日本が敗戦から民主国家として立ち直っていく出発点を低学年で体験しました。昭和17年まで、頑張って山鉾巡行していましたが、18年、19年、20年の3カ年は戦争のために風流の巡行はできませんでした。昭和20年になると、どうすれば巡行ができるか、という模索が始まりました。

私の家長の祖父は21年に亡くなったのですが、ほかの多くの家で敗戦のショックで家長が亡くなり、相続税の問題が発生しました。そのころGHQの財閥解体が行われ、祇園祭の進行の責任をとっていた一呉福屋にまで税がかかってきたのです。今でこそそれぞれの組織は法人格を持っていますが、戦前は個人登記であり、個人に財産税がかかってきました。そこで個人名義を理由に共有財産を売却して自分の家の足しにするという状況もありました。その時共有財産を売却した町は非常に困っておられます。

 そして昭和22年になり、京都市の復興局長がGHQの本部に出向き、山鉾風流の再開を願い出ることになりました。GHQ京都本部から許可は下りたものの、GHQの交通規制の妨げとなることは禁止されました。3つの鉾、長刀鉾、函谷鉾、月鉾がありましたが、函谷鉾はGHQの妨害となるため禁止。昔通りの巡行路は許されず、四条寺町までの往復巡行を長刀鉾が巡行。月鉾は路上に現れたものの、曳く力、費用がなく巡行は断念。しかし、昭和24年に、5年間中断していた山鉾風流巡行が再開し、人々は誇り高く見守りました。40万人もの人の出がありました。

昭和24年というのは法隆寺の壁画が焼失した年、また湯川秀樹がノーベル賞受賞された年です。火災の原因は28世帯の一角の電気座布団の電気がショートしたことでした。現在も焼けただれた壁画を見ることが出来ますが、戦後の混乱を反映した出来事でした。我々の北観音山は元々後祭でした。が、先祭に混ざって巡行し、船鉾の前を行ったのは奇妙な光景でした。四条通りの片側にはジープが並び、ミリタリーポリスの先導、交通整理のもとに巡行が行われました。財産税や相続税に屈しなかった父が裃を着て、四条通りを歩いている姿を神々しく覚えています。

本来は囃子方には小学校1年生からなれるのですが、自分の場合は小学5年生で初めて囃子方として祭人になりました。以来50年間祭人として祇園祭に携わっています。


 さて、祇園御霊会が創設されたのは869年、今から1115年ほど前のことです。理由は平安京を経営していた為政者たちが、衛生管理に気を遣っていたことのようです。今は抗生物質、点滴があるため、少々汚れた水を飲み、下痢、脱水症状をしても死に至ることはありません。が、今なら児童虐待でしょうが、私達の子ども時代ですら子供の寝室は寝冷えの出来ない過酷な暑さでした。子供が寝冷えをして脱水症状を起こせば、死に至ると親たちが知っていたからです。10万規模の平安京で、衛生管理を一つ間違えると大変なことになる、ということが前提にあったのでしょう。鴨川の水は御しがたく、梅雨明けには氾濫し、平安京の小さな川も梅雨明けの大雨に耐えられず氾濫を起こし、人々の住宅地へ水が流れ込む。やがて水が引いても、水たまりでアメーバが増殖し、生水しかなかった平安京の人々はそれを承知で水を飲むしかなかった。

免疫力の弱い子ども、老人は疫痢という症状を起こしたのではないか、と想像します。長い歴史では、コレラなどの病気もあったでしょうが、四季折々の変化の中、人々は安穏と暮らすが水が原因で急性の下痢を起こし、脱水症状になり死んでいくという悲惨な状況は、目には見えない天の神様が自分たちに怒り狂うからであると考え、神様の御霊を慰めて被害を与えないようにしていただきたい、と祭をしたのが祇園御霊会の起こりです。869年のことです。

その同じ年、陸奥の国、東北でも3年前の地震と同じように大きな地震が起こりました。524日、大変な地震、津波でした。資産として、稲の束一つも残らずという惨状を知った平安京では、全国の数にちなむ66本の鉾(2m)を、神泉苑という聖なる池に立てて、悪良退散の願いを込めて祭りをしたのです。私はこれを知る前、祇園御霊会は平安京の人の安穏を祈ったものと思っていましたが、実は全国の人の安穏を祈って祭をしてきたのです。

そして、山鉾風流というのが創設されるのは、今からほぼ650年前です。その頃、一般庶民の中から、様々な芸能が誕生し、今ではそれぞれの道を極めて立派に育ちました。能楽や茶道、華道もそのころです。それらは貴族でなく、庶民の教養から起こったものでしたが、庶民の芸能と共に創設されたのが山鉾風流でした。

山鉾風流の豪華な姿は一晩ではなりません。毎年の努力の積み上げにより、立派な懸装品、漆を塗り、金物でかざり、房を掛けてようやく一人前の姿になります。山鉾は劣化します。特に絹は100年経つと粉になります。町民は修理をし、新調し風流の美しさが衰えないよう努力します。

毛を素材とした装飾品は強い。重要文化財に指定の鶏鉾、函谷鉾、鯉山、白楽天山の毛のタペストリーは素材がしっかりしており、鑑賞に堪えるものでした。昭和23年、京都市美術館で毛素材のタペストリーを展覧しているのですが、山根雄三先生が企画されました。室町絵画を積極的にコレクションにされた、高名な先生です。これをきっかけに、重要文化財と指定されることになりました。それらは山鉾風流の懸装品の中でもエース級です。

タペストリーはベルギーのブラッセルのあたりで売られ5枚一組で日本の権力の中枢に送られ、その5枚の一つは加賀百万石の前田家、もう一枚は、明治41年に焼けましたが秀忠の右大臣、もう一枚は会津藩に送られました。そのころ日本は庶民と武家の社会が経済的に逆転し、日常の台所は庶民が握りました。京都の名だたる庶民は大名貸をしていました。大名貸なしでは、大名は生活できなかった。京都を中心とする経済圏の中で、大津や長浜を含めて大名貸をしたのです。

第二次大戦中に限らず、1000年以上の歴史には祭が途切れかかった時期がありました。

応仁の乱を機に巡行は33年間もできませんでした。が、1500年明応9年に幕府も力をためて、祭の再開を呼びかけ、庶民も応じて現在の34の風流を復興させました。717日八坂神社から神輿が出る神幸祭22基、2週間御旅所に留まった神輿が神泉苑に向かい、疫病対策の祈りを捧げ、本社にお帰りになる還幸祭11基が帰る、という巡行が復活したのです。山鉾の歴史では、宝永、天明8年、元治元年の大火といった、80年に1度の大火があったにもかかわらず、庶民たちは以前を上回る都市再生をしてきました。

昭和27年から戦前通りの巡行ができるようになったのを機に、150年前に蛤御門で焼失した菊水鉾が復活しました。一人の呉福屋の熱意により再開しましたが、一人が事を決めるのは京都では馴染まず、維持が大変であり、菊水鉾町内は悩まれました。60年を経て、ようやく完成の域に達したのです。


 そして、ご紹介にありましたように今年、還幸祭、神幸祭に伴う、山鉾風流本来の在り方を復興することができました。嬉しい年でした。

 先ほど、各地の遺産をお持ちの市町村町たちが会合しておられ、みなさんは非常に誇らしげに、重い責任感を持つ緊張感のある表情でした。郷土の物が指定されることは、晴れがましく名誉でが、それを格調高く維持していくのには困難が伴います。

今私が一番大事に思っているのは初心を忘れていけないということです。初めて祭人になった時の事を反芻し、現在の状況にあったものを作りだし、祭の維持に励みました。
 もう1つ、交流と連携は大事です。
ともに手を携えて頑張りたいと思います。
 今日が、自分たちの世界遺産への理解を深める1日になることを祈念しております(拍手)。

(世界遺産の現状についてのキー・スピーチ)

松浦晃一郎 ユネスコ前事務局長

久保成人 観光庁長官

山下和茂 文化庁文化財部長

司会

吉田理事長、有難うございました(拍手)。無形の世界遺産を継承されているお立場から、それを維持していくのには困難が伴うけれども、初心を忘れず、ともに手を携えて頑張りましょうというエールを頂戴いたしました。では、これから世界遺産の現状についてお三方からお話をいただきます。揃ってご登壇下さい。お一人目は、ユネスコ前事務局長で「明日の京都文化遺産プラットフォーム」会長、また「世界文化遺産」地域連携会議顧問でもいらっしゃいます、松浦晃一郎様です(拍手)。続いて、観光庁長官の久保成人様です(拍手)。続いて、文化庁文化財部長の山下和茂様です(拍手)。

まずは松浦さんから、世界遺産をめぐる最近の動きについて教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。

松浦・ユネスコ前事務局長

日本は世界遺産条約の体制に参加するのが遅れました。世界遺産条約は1972年に採択され、2年前に40周年行事をユネスコが開催しましたが、日本がそれに参加するようになったのは1992年のことです。2012年に世界各地で行った最後の取りまとめの行事を京都で行い、京都ビジョンを採択し、私も京都ビジョンの提案作成という歴史的で重要な文書に携わりました。その重点は地域住民であり、世界遺産を登録するにあたり、さらに登録後の保全に、地域住民に重要な役割があるということです。

今の世界遺産全体は1007、去年は981であり、初めて1000を超えました。うち約8割は文化遺産、約2割自然遺産です。文化遺産については顕著な普遍的な世界的価値があることであり、国宝は国の宝、世界遺産は世界の宝とお考えいただければよいと思います。日本では富岡をはじめ、群馬県の産業遺産が4つ登録され、これは1つと数えるので、自然遺産とあわせ18になりました。

1000の中で18は少なく思えるかもしれませんが、世界遺産はユネスコの遺産の中で一番人気の遺産であり190カ国が参加しています。しかも40カ国以上はまだ世界遺産を持っていません。

日本の世界遺産保有数は全体で13位ということです。ちなみにアジアの1位は中国、2位はインド、3位はオーストラリア、4位が日本です。オーストラリアは自然遺産であるので、文化遺産は中国、インド、日本という順になりますが、とても狭き門です。

さて、日本の課題の1つ目は、言うまでもなく世界遺産を増やすことです。次の世代に引き継いでいくにはしっかり世界遺産登録して残していくべきでしょう。縄文時代からの歴史を持ち、自然も残っている国なので、10位以内を目指したい。私もその為に自分も微力ながら貢献したいと思っています。

2つ目の課題は、登録された世界遺産、顕著な普遍的な価値を保全すること。これは当然、京都にも当てはまります。私は「明日の京都の文化遺産プラットホーム」の会長をしており毎年京都に来ているのですが、感心なのは市長のもとで、文化遺産を維持管理しようという体制ができつつあることです。一番は景観条例。最重要なのは世界遺産本体の価値を守ることですが、同時にバッファゾーンの外であっても、本体の価値を損なう建物を建ててはいけないし、除去しなければいけない。その関係では、京都ビジョンがうたった地域住民の役割が行政だけでなく、住民に問題意識を持って対応していただくことが必要になります。

 最後に観光との関係について付け加えます。

 例えば富岡では登録に伴い観光客が4倍になったと聞いています。これは結構なことだと思います。が、富岡に限らずこれからは観光客にも問題意識を持って行動してもらうよう、マナーを徹底していかなければなりません。世界遺産の観点では国際交流を増やすことも大事で日本人だけでなく、外国人への啓蒙も必要になると思っています(拍手)。

 司会

 次に、観光庁長官の久保さんから、世界遺産を活かしたこれからの観光政策についてお話いただきたいと思います。久保長官、よろしくお願いいたします(拍手)。

久保・観光庁長官

これまで世界遺産に関する会議は日本では一部自治体とか、担当者レベルでは行われていましたが、今回のように文化遺産、自然遺産の両遺産の関係の自治体のトップが一堂に会するのは過去にない取り組みで、とても意義深いものだと思います。今日のこれからの議論には世界遺産の所在地だけではなく、日本各地で観光地域作りをされる方々の参考になる部分も多いのではないかと考えています。

また、その第一回が20周年の節目の京都で開催されるのはとても喜ばしいことです。先日、世界で最も影響力のあるアメリカの旅行雑誌『トラベル&レジャー』2014年版の読者投票で、京都が第一位を取りました。これを維持するのは大変ですが、観光庁も京都市と一緒になって、世界ランクを維持したいと思っています。景観についても配慮、努力をされており、我々からすれば、京都でやらずしてどこでやるのかということもありますので、御苦労だと思いますが努力を続けていただきたいと思います。

さて、観光の状況についてインバウンド中心にお話ししたいと思います。

昨年、日本を訪れる外国人旅行者が目標の一千万人に到達しました。10年前、小泉首相が提唱してビジットジャパンキャンペーンを行い、ついに昨年達成できました。今年は9月までの数字で9737千人となっていて去年よりハイペースであり、おそらく10月で一千万人を超えるでしょう。12月では1200万人代後半に到達するのではないかと思います。政府全体では、オリンピック・パラリンピックの区切りの年、2020年までに2千万人を目指しています。実現に向けては、日本の各地域が世界に通用するような観光地域作りをするのが肝でしょう。

世界遺産は、世界で認められた自然文化の資源が存在しているということで、世界に通用する観光地になり得ると思います。他にない際立ったユニークな、唯一の資源という意味では持っていない地域からは羨ましい。これを持っている各地域が、観光に活用することは大事です。私どももJMTOのホームページを設けており、とても人気があります。

一方で、観光客の数には登録直後に増え、急激に減る地域とそうでもない地域があるようです。様々な原因がありますが、各地域で課題が異なるということでしょう。

ひとつには、観光客急増への受け入れ態勢、的確な案内、プロモーションなど、あるいは各地域の連携の問題。観光庁でも支援事業をしており、来年度も予算要求でも、広域的な、点から線、線から面といった事業の要求、それぞれの点を磨く事業の要求を新規でしています。

外国人観光者は首都圏から出入りする人が多い。その意味で、東京周辺にとどまっている外国人訪問客に、首都圏以外にも戦略的に行ってもらう、首都圏以外の空港からゲートイン・アウトしてもらうという動きを日本全体で作っていきたいと思います。観光庁は強制的に指示する立場にはありませんが、各地のお悩みに関しては相談に乗り、全力で支援、提案をしたいと思っています(拍手)。

 司会

 さて、文化立国・観光立国の大前提となるのは世界遺産の保全です。続きまして、文化庁のお立場から山下部長にお話いただきたいと思います。山下部長、よろしくお願いいたします(拍手)。


 山下・文化庁文化財部長

文化庁は霞が関の中で、世界遺産についてどういう立ち位置かをまずご説明したいと思います。

世界遺産というのは、国際協力の条約で、基本的には外務省にユネスコの舞台で努力していただくのが前提となります。一方で、国内的な保全措置をどうしていくかということについては、条約の名前は世界の文化遺産および自然遺産保護に関する条約という、保護が目的となった条約があり、これを政府や地方自治体が奉じることになります。

次に国内措置の中で文化遺産に関しては、文化財保護法という法律があります。国が文化財を指定して規制をかける。基本的には、まず国の指定文化財になってもらう。それを推薦書という形で取りまとめのお手伝いをする。登録後の保全措置についてもお手伝いをする。同様に、自然遺産については環境省が行う、ということです。

さて、文化庁は保全と活用の前者の方を担当していると思われがちですが、必ずしもそうではありません。文化財保護法の目的には保護と活用とあるのです。活用はいろいろな形があり観光活用や、一般市民に広く見てもらう、学術的な活用などがあります。文化庁でも保護だけでなく、活用面も考えながら施策を考えています。

保全措置については登録の段階で、包括的な保全管理計画をユネスコに提出しており、それに従ってやっていきます。むしろ、それを発信したり、活用したりすることの方が、日本の文化財についてはやや遅れた面があると文化庁自身も思っているのです。

今、下村大臣のもとで、文化庁も2020年に冬季五輪に向けて、外国人をお招きし、日本のよさを知ってもらおうということについて、日本の文化庁として何ができるか、日本の文化財について何ができるか考えるよう宿題をいただいています。日本の場合は登録後、一気に客が増えるのですが、オーストラリアの自然遺産など外国ではそうでもないという見方もあります。世界遺産を活用して、外国人に分かりやすく提示していく。これは世界遺産に限らず日本の文化財の活用・発信の仕方として大きな課題の一つでしょうが、世界遺産だから必ずしも観光地ということではありません。

文化庁はこういったことを政策として練り上げたいと思っています。官邸で安倍内閣の最重要課題として地方創生を検討されていますが、そこに文化庁としての新しいものを入れて行こうとしています。その一つが「日本遺産」です。これは世界遺産の二軍でなく、世界遺産はヨーロッパ主導、日本遺産は日本独自の価値を世界に発信していくもの、ということで予算要求をしています。実現できれば、観光庁と連携して、オールジャパン、政府全体の政策として推し進めていきたいと思います。

今日はそういう面で、すでに登録されて保全と活用の様々な工夫をされている自治体のお話を楽しみに参った次第です(拍手)。

司会

お三方、有難うございました。地元からの理解や経済活動がなければ保全はできない。そうした意味では世界遺産の保全と持続的観光の推進が各地域に共通する、車の両輪だと言うことがよく分かりました。お三方に今一度大きな拍手を。

(拍手)

それでは前半の部の締めくくりに、すてきなゲストをご紹介しましょう。ユネスコ平和芸術家・城之内ミサさん。そして,フルート奏者の高桑英世さんです。本日は「世界遺産トーチラン・コンサート」としてスペシャルアンサンブルを演奏していただきます。皆様、大きな拍手をもってお迎え下さい。

(城之内ミサ 世界遺産トーチラン・コンサート スペシャルアンサンブル)

 司会

それではここで10分の休憩を戴きたいと思います。

 入場の際ご覧いただいたかと思いますが、会場後方では18の世界遺産、加えて近畿の5つの候補地、百舌鳥・古市古墳群、飛鳥、彦根城、天橋立、記憶遺産候補の舞鶴引き揚げ記念館のパネル展示をおこなっております。そちらの方もどうぞご覧下さい。




 二部

司会

それではこれから、世界遺産を持つ全国の市町村長様によるパネルディスカッション、世界遺産サミットを始めさせていただきます。では、北から順に日本にある18の世界遺産をご紹介いたします。市町村長様は各指定地の紹介にあわせて壇上へお上がり下さい。なお、皆様のお手元には各地の取り組みを取りまとめた資料も配布しております。ご参考にしていただければと思います。

 (スクリーン:知床)まずは北海道・知床です。オホーツク海に面した知床半島では、流氷により大量のプランクトンが発生し、サケなどの豊富な魚介類が生息します。サケは秋になると知床の河川をのぼり、ヒグマなどに食べられます。そしてそれらの動物の排泄物や死骸は、植物の栄養素として陸地に還元されます。こうした海と陸との食物連鎖を見ることができる自然環境が評価され、2005年に世界自然遺産に登録されました。馬場・斜里町長と脇・羅臼町長にお越しいただいています。壇上お席の方へどうぞ(拍手)。

 (スクリーン:白神山地)次に同じく自然遺産。東北2県、青森県と秋田県にまたがる白神山地には人の影響をほとんど受けていない原生的ブナ天然林が世界最大級の規模で分布していることから、1993年、屋久島とともにわが国初の自然遺産に登録されました。吉田・深浦町長と関・西目屋(にしめや)村長です。壇上お席の方へどうぞ(拍手)。

 (スクリーン:平泉)ここからは文化遺産が続きます。まず、岩手県・平泉町です。奥州藤原氏の遺構が多くのこされていることに加え、敵味方なく死者の魂を浄土に導こうとした平泉の造営意図が、ユネスコ憲章の精神に通じることなどから、2011年に世界遺産登録されました。青木町長にお越しいただきました(拍手)。

(スクリーン:日光)関東からはまず、登録15周年を迎える日光です。来年は徳川家康没後400年を迎えます。

(スクリーン:富岡)続いて今、もっともホットな地域、「富岡製糸場と絹産業遺産群」です。近代遺産として初の登録であり、日本の近代化に寄与しただけでなく、絹産業の国際的技術交流や技術革新を伝える遺産である点が評価され、今年新たに世界遺産となりました。富岡製糸場がある富岡から岩井市長、田島弥平旧宅がある伊勢崎市から吉田副市長、高山社跡の藤岡市から田中教育長です(拍手)。

 スクリーン:小笠原)小笠原諸島は東京から1000q南にある30あまりの島々で、島の誕生以来大陸と陸続きとなったことがない海洋島で島にたどり着いた生物が独自の進化を遂げた希少な生態系が認められ2011年に世界自然遺産に指定されました(拍手)

スクリーン:富士山)富士山は古来から信仰の対象として崇拝されてきましたが、平安時代にはその噴火を鎮めるために浅間神社が建てられ、修験道の道場になりました。江戸時代には富士講が組織され、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵など、多くの芸術家の作品に影響を与えてきました。山梨側から渡邊・富士河口湖町長、静岡側から須藤・富士宮市長です(拍手)

(スクリーン:五箇山)中部・北陸からは新幹線の金沢延伸により、ぐっと便利になる白川郷・五箇山です。住民の合掌造り家屋が世界遺産になっており、「売らない、貸さない、こわさない」を合言葉に、住民総出で屋根の吹き替えを行う共同作業「結」が行われています。富山から田中・南砺市長にお越しいただきました(拍手)。

(スクリーン:平等院)地元の「古都京都の文化財」からは門川・京都市長、越・大津市長、山本・宇治市長が揃って皆さんをお迎えいたします。京都では建造物の高さ規制、屋外広告物規制、火災から文化財を守る「水のカーテン」などの先進的事業が進められています。大津市にまたがる比叡山は、今の日本人の生活に受け継がれる鎌倉仏教の道場で、現在も厳しい修行が続けられています。宇治では、平等院がこの春、鮮やかな朱色に生まれ変わりました(拍手)。

(スクリーン:奈良)昨年登録15周年を迎えた奈良。日本が本格的な中央集権国家となった1300年前からの遺産を今に伝えます。

 (スクリーン:法隆寺)続いて同じ奈良県から、わが国の世界遺産指定地第一号、法隆寺です。現存する最古の木造建築物として有名な法隆寺ですが、観光面では最近、奈良市と連携した観光振興に力を入れてらっしゃいます。小城・斑鳩町長にお越しいただきました(拍手)。

 (スクリーン:紀伊山地)今年10周年を迎える紀伊山地の霊場と参詣道は「神道」「仏教」「修験道」の聖地が混在し、道によって繋がれ、しかも現在に生きている場所です。北岡・吉野町長と平野・高野町長にお越しいただきました(拍手)。

 (スクリーン:姫路城)近畿勢の最後は「黒田官兵衛」でもおなじみ、姫路城です。大規模改修工事にもだいぶゴールが見えてきました。

 (スクリーン:厳島神社)中国地方に移り、広島県の厳島神社です。姫路が「官兵衛」ならこちらは「清盛」。観光はまだまだ絶好調と聞いています。廿日市(はつかいち)市から原田副市長にお越しいただきました(拍手)。

(スクリーン:原爆ドーム)同じく広島の原爆ドームです。厳島神社との間には世界遺産を結ぶ船便が開設され、連携した外国人誘致などに取り組んでおられます。

 (スクリーン:石見銀山)島根県の石見銀山からは江戸時代前期に世界の銀の3分の1を産出していたと言われ、東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形づくる、世界に類を見ない鉱山、として2007年に登録されました。竹腰・大田市長にお越しいただいています(拍手)。

スクリーン:屋久島)九州に移り、1993年に自然遺産に登録された屋久島です。樹齢7200年と言われる縄文杉を始め、1,900種類もの植物がひしめきあい、固有種94種に加え、屋久島を南限とする種は200種以上、・北限とする種も多数見られます。荒木・屋久島町長にお越しいただきました(拍手)

 (スクリーン:中城城)最後に沖縄から中城村の浜田村長にお越しいただきました。ご覧いただいているのは中城城跡でのプロジェクションマッピングの様子です。「琉球王朝のグスク及び関連遺産群」は以外に、首里城など那覇市内の4つの遺産と今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、斎場御嶽から構成されています(拍手)

それではここからの進行は世界文化遺産地域連携会議会長の、門川京都市長にお願いいたします。

 門川会長、松浦顧問、久保長官、山下部長、再び壇上へどうぞ(拍手)

門川・京都市長

現在、日本には14の文化遺産と4つの自然遺産があります。わが国初の世界遺産サミット開催を呼びかけさせていただきました所、うち13の遺産から、それを保有する約20名の市町村長にお越しいただきました。感謝申し上げます。

まず「富岡製糸場と絹産業遺産群」の皆さん、このたびはご登録おめでとうございます。富岡市の岩井市長からお一言ずつ、この間のご感想、これからの目標や課題などにつき、お話いただければと思います。

岩井・群馬県富岡市長

 富岡製糸場と絹産業遺産群は、625日に世界遺産に登録され、今月17日には、文化審議会から国宝の答申をいただきました。これまで富岡市は東京から100km圏にあるにも関わらず、群馬のどこにあるのかわからない。しかし今は、富岡市は分かっても群馬県が分からない人が多くいる(笑)。これからは群馬県の富岡と言いたいと思います(笑)。

課題はたくさんあります。17年に富岡市の管理となり、19年の1月に暫定リストに載りました。徐々に観光客が増えてはいましたが、昨年は30万人だったのが、今年は4月〜9月までに70万人を超しています。市の人口は5万人です。それくらい来ているが、お金を使ってくれない、使うところがない。観光客の一歩前を行き、保全、活用を計画しながらやっていかなくてはいけない。そのためにも関係省庁のご支援をお願いしたいと思います(拍手)。


 門川・京都市長

有難うございました。伊勢崎市さん、藤岡市さんもお一言。

吉田・群馬県伊勢崎市副市長

富岡製糸場と絹産業遺産群のひとつ、群馬県伊勢崎市です。田島弥平旧宅は屋根の上に「ヤグラ」が乗り、近代養蚕農家の原形となった遺跡です。150年で老朽化が進んでおり、伊勢崎市として今後どうしていくかを検討しています。景観条例に則って、境島村景観重点区域に指定し「近代養蚕農家群の維持」「河川堤防からの眺望景観の保全」「歴史・文化的な景観資源の保全と活用」に努めたいと思っています。一番の重要課題は、この田島弥平旧宅にはご当主がお住まいということがあり、今後、ご当主としっかり話し合いをしながら進めていきたいと思っているところです(拍手)。

田中・群馬県藤岡市教育長

 富岡と一緒に絹産業遺産群の一角に入れていただき、有難く喜んでいます。が、責任の重さも感じています。

目標は特に訪れた人に高山社の意義を分かってもらうことです。養蚕技術に関わる技術革新と広がり、つながりを訪れた人に理解してもらえるようにしたいと思います。課題は今の建物が明治24年に建てられ、老朽化が進んでいるため、保全・修繕し、地域のみなさんに理解してもらい活用していくこと。また、ほかにも市内に絹産業に関わる遺産があるので、そうしたものとのつながりを感じさせながら開発していくことです(拍手)。


 門川・京都市長

 有難うございました。さて、今回は初のサミットということで少し総論的にはなりますが、前半の部のキー・スピーチにもありましたが本日は文化遺産の「保全」と「持続的観光の推進」という大きく2つのテーマについて議論して参りたいと考えております。聞くところによりますと、ユネスコには発言ルールというのがございまして、それにのっとり各地域とも1回のご発言は2−3分ずつ(笑)でお願いしたいと思います。お手元資料もご参照いただきながら、できるだけテンポよく、できる限り全ての方からのご発言をいただきたいと思いますので、ご協力のほど、宜しくお願いいたします。


 (第1のテーマ:世界遺産の保全)

門川・京都市長

さて、1つ目のテーマは世界遺産の保全です。まずは世界遺産やその周辺景観をどう保全しておられるかということから伺っていきたいと思います。景観に関する京都市の最近の動きとしては、高さ規制に加え、全ての屋外広告物を取り外すということに取り組んでいますが、斑鳩町の小城町長、資料を拝見すると法隆寺の周辺でも色々やってらっしゃいますね。

小城・奈良県斑鳩町長

法隆寺は平成51211日に姫路城と同じく世界遺産に登録されました。世界最古の木造建築が登録されたのはうれしいことでした。先ほど吉田さんがおっしゃったように、昭和24126日に壁画が焼失しました。その日は今も「文化財防災デー」になっています。先人が連綿と守ってきたものが昭和24年に壊されたことを常に考え、そのことを語り継ぎながら文化財を守ってきたからこそ、世界最古の木造建築が世界遺産第1号にしていただいたのだと思っています。例えば、あれだけの裏山のバッファゾーンが残ったということは、それなりの犠牲があったからこそです。これからも引き続き、世界遺産を周辺景観含め守っていかなければなりません。法隆寺周辺にも京都同様、厳しい景観規制をかけています。世界遺産第1号として、今後もそれを守り、各地の世界遺産の皆様とともに頑張っていかなければと思っています(拍手)。


 門川・京都市長

有難うございます。景観ということでは五箇山の田中市長のところにも面白い事例がありますね。是非ご紹介下さい。


 田中・富山県南砺市長

白川郷と五箇山の合掌集落ですが、岐阜と冨山両県に渡っての合掌集落の世界遺産です。冨山県側は小さな集落が2つありそれが合掌造りとなっています。
 景観への配慮ということですが、例えば駐車場です。村落の中には普段、車の姿はありません。世界遺産には暮らしがあり住民が住んでいる訳ですが、その方たちの駐車場は地下にあり、分からないようになっています。また、一般観光客の駐車場を国道沿いに設置。そこからエレベーターで地下に降りてもらい、村へ入ってもらうようにしています。冬には3mほど雪が積もるため、雪崩が起きないように、萱の造成が大事です。山から水からその周辺全ての景観を守っていくのが重要です。いろんな方に協力いただいています(拍手)。


 門川・京都市長

有難うございました。さて、景観の保全に関してですが、富士宮市の須藤市長、昨年の会合の際に、富士山の景観を守るためには太陽光発電の建設にルールが必要だということを仰ってましたね。結果、環境省により自然公園内の設置に対する指針作りが進められつつあると聞いていますが、この点についてひとことご発言下さい。


 須藤・静岡県富士宮市長

富士山の世界遺産登録から一年が経ち、だいぶ落ち着いてきました。富士宮市には富士山山体含め6つの構成資産があり、保存活用の対策が急務です。平成28年度に静岡県が建設する富士山世界遺産センターが当市にできるため、現在それにともない、町作り整備構想を策定し、世界遺産に相応しい町作りに市民とともに取り組んでいるところです。

富士山周辺での太陽光発電の建設に関するルール作りについて問題提起をさせていただくと、富士山の山体の保全だけでなく、世界遺産としての景観の保全が非常に重要です。しかし富士山はあまりに大きく、景観への配慮は広域的に考えなければいけません。一方で、国が進める再生エネルギーの買い取り制度に伴い、大規模太陽光発電システムの設置が急速に進められています。この設置の動きが富士山の景観を阻害するものとして、大変心配されるのです。具体的には太陽光発電の設置は建築基準法の適用除外となったことから、富士山景観を阻害する場所に無秩序に設置される恐れがあります。

そこで富士宮市は平成2491日に、1000平米以上のソーラーパネルで発電する、大規模な太陽光発電及び風力発電の設置に関する取り扱いを定めました。富士山の良好な景観を守るため、富士宮市域の3分の2を大規模太陽光発電の設置を抑止する地域にしたのです。地域設定にあたっては富士、箱根、伊豆、国立公園の区域指定もありますが、富士山の景観においてはこの範囲だけでは足りないと考えました。法的規制はなく、抑止地域での大規模太陽光発電の設置自粛をお願いしているのですが、今のところ事業者の理解を得られていると思ってます。

しかし、景観保全にはお願いだけでは限界があります。静岡県、山梨県の富士山周辺の11の自治体で連携し、大規模太陽光発電の設置にあたっては、地元自治体に対し同意を得ることを義務付ける法的手続きを講じられるよう、国に対して要望しています。これは世界遺産保有地域の共通課題であると認識しています。本日お集まりのみなさんとともに歩みたいと思っています(拍手)。


門川・京都市長

遺産そのもの以外に、その周辺景観を守ることに様々な苦労があるということですが、吉野町の北岡さん、資料に「吉野山桜の学校」の取組が出ていました。少しご紹介戴けますか?

北岡・奈良県吉野町長

資料P3132ですが、「紀伊山地の霊場と参詣道」という世界遺産で、そのうちの吉野です。保全に関しては、文化的景観の保全と桜の保全がありますが、そのうち桜の保全につきお話します。修験道の御神木ということで、吉野山には50ヘクタールに約3万本の桜があります。世界遺産に登録されて3年ほどで30年生の桜が突然枯れたりしまして、NHKが取り上げ、読売新聞大阪本社が世界遺産を守るため「吉野の桜を守る会」を結成し、桜の保護育成活動に係る資金を集めているのです。この資金を利用し、京都大学の先生になぜ桜が枯れるのか調査してもらい、リモートセンシングで桜一本ずつの状態を調べたり、どう保全し植え継いでいけばいいのかなどについて取り組んでいます。桜を守るための運動をやっているのは読売新聞の「吉野の桜を守る会」だけではなくて、大正時代からある財団法人吉野の保勝会、地元の観光協会等、約10の団体です。地元の子どもたちも、桜をここから苗を育てて植えていこうという取り組みを続けるなど、すぐに効果は出ないけれども一生懸命やっています(拍手)。


 門川・京都市長

子どもたちの話が出ましたが、白神山地、深浦町の吉田町長。資料では遺産地域から流出した木を地元の高校生たちがウッドチップに加工し、遊歩道のクッション材にされているとか。

吉田・青森県深浦町長

白神山地一帯は、過疎の町村ばかりです。平成17年に合併し、財政状況はいくらかよくなりましたが、相変わらず過疎の状況で様々の問題があるなかで、今維持管理している人の後継者問題には非常に大きなものがあります。そのなかで、深浦に外から入ってこられた夫婦が、地域の小さな川に住んでいるシノリガモの存在に気づき、観察を続けたことが地元の新聞とテレビニュースに載りました。そのご縁で昨年屋久島に訪問し、その結果、屋久島から子どもたちが深浦町においでになる、という交流が始まりました。また、大雨等の災害続きのなかで、流木の利用に気づきました。十二湖エリアに保存整備のために撒くチップを流木チップにできないか。高校生に声をかけ、最初は嫌がられましたが、チップ工場の親方の協力を得、高校生に流木を集めてもらい、マスコミにも取り上げられることで、皆にやりがいが出てきました。

後継者を育てるためにはマスメディアが後押ししながら、地域で後押しする、そうすることで初めて世界遺産の価値が分かる。地域にいる人たちは生活しているから当たり前ですが、外からの影響とマスコミの力でやりがいを持って、表舞台に出ていく。そういうことがつながって、いろんな祭りイベントに高校生が参加してくれるようになりました。これからの世界遺産を守る後継者も育つ。なにか気付く人も必要。地元の人、外から入った人、誰でもいい。深浦においでになったら、苦情でもなんでもいいので、気づいたことがあったら、是非ご指摘ください(拍手)。

門川・京都市長

有難うございました。さて、自然遺産・文化遺産にとっての大きな課題の1つは保全と開発・あるいは経済活動というものとの折り合いをどうつけていくかということではないかと思います。まず一番のあるべき姿は、世界遺産を始めとする文化や景観がきちんと保全されることにより、地元の経済も活性化するということでしょう。平等院が修復され、宇治茶というブランドもお持ちの宇治市・山本市長、一言いかがでしょうか?

山本・京都府宇治市長

宇治市長の山本正です。本市では平成6年に世界遺産登録された「古都京都の文化財」の17の構成資産のうち平等院と宇治上神社が世界遺産になっております。この両社寺は、風光明媚な宇治川をはさんで建てられておりまして、平等院があります川の西側には古くからの宇治市街地が広がっております。この宇治川周辺の景観保全のために特別風致地区が設定されており、特に平等院背後のエリア設定がせまいことから、当初より景観保全上の課題が指摘されておりました。皆様もご存じかと思いますが、世界遺産登録直後にバッファゾーンのすぐ外側で高層マンションが建設され、平等院の借景に影響が及ぶ事態となりました。このことがきっかけとなり、市民の景観意識も高まり、本市の景観行政が本格的にスタートすることとなったところでございます。この間、本市では市街地での高さ規制を強化するとともに、景観法に基づく景観計画を策定するなど、世界遺産の借景保全にも取り組んで参りました。また、このような景観保全とともに、文化財保護法の改正により新設されました「文化的景観」の取り組みを進め、平成21年に都市景観としては第1号の重要文化的景観に選定いただいたところでございます。

一方、本市の伝統産業でございます「宇治茶」に関しましては、京都府が中心となり「日本茶のふるさと 宇治茶生産の景観」として世界遺産登録を目指して取り組みが進められており、本市といたしましても、関係市町村と連携してその一翼を担っているところでざいます近年、急須でお茶を飲む習慣が、私たちの文化から薄れつつあることを皆様も感じていられると思いますが、本市では「宇治茶の普及とおもてなしの心の醸成に関する条例」をこの10月に制定し、宇治茶の伝統と文化の普及に努めることといたしました。

 さて、さる101日に平等院鳳凰堂の平成修理落成式が行われました。この修理は平成24年から3か年をかけて行われたもので、鳳凰堂の塗り替えと屋根瓦の葺き替えなどを行い、創建当時の華麗な姿がよみがえりました。この修理中は観光客数も大幅に落ち込んでおりましたが、落成とともに見事に復活し、世界遺産平等院の影響力の大きさを、あらためて実感した次第です。是非とも皆様には宇治市を訪れていただきまして、1000年前の姿が蘇った美しい鳳凰堂をご覧いただき、あわせて宇治茶を味わっていただければと思っています。有難うございました(拍手)。

門川・京都市長

富士山関係で最も多くの観光客を受け入れてこられた地域の1つ、富士河口湖町の渡邊町長。登録後さらに観光客が増えたのではないかと思いますが、ご苦労されていること、また工夫されていることなどはありますか?

渡邊・山梨県富士河口湖町長

当町は富士山と4つの湖(河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)と、広大な青木ケ原樹海、酪農地帯である富士ケ嶺地区を擁しています。自然豊かな環境に恵まれた中で、観光立町という事で取り組んでいます。四季を通じ様々なイベントを展開しています。春は河口湖ミツバツツジまつり、初夏は河口湖ハーブフェスティバル、夏の風物詩として、富士五湖のうち町内4つの湖がそれぞれ花火大会を開催しています。河口湖の花火大会は100年の歴史があります。秋は紅葉まつり、富士山マラソン。冬には河口湖湖畔で冬花火。西湖地区では樹氷まつりを開催し、客を呼び込み楽しんで頂いています。富士山が世界遺産となり、山梨、静岡両県で25個の構成遺産がありますが、そのうち8つの構成遺産を抱えている町で観光を生かし、36年続いていた河口湖日刊マラソンを富士山マラソンと改名しました。約13千人が参加しています。

イコモス及び世界遺産委員会の勧告、要請事項に景観の保全が挙げられており、また富士宮市から提言があったように、大規模太陽光発電設備への対応については富士宮市と連携をとり、町内全域で1000uを越える設備に関しては抑止のお願いをしております。

町内の湖でボート業を営む人が多く、官民共同の協議会を立ち上げ協議するなかで、河川法の特例を活用した自主ルールを構築し、世界遺産に相応しい湖の利用と保全のバランスを図っております。町民に向けては、おもてなしの精神を持っていただき、住んでよし、訪れてよし、世界遺産に相応しい質の高い町づくりを目指して呼びかけをしております(拍手)。

門川・京都市長

有難うございます。引き続きそれぞれに工夫されている点につき伺っていきましょう。自然遺産の場合はとりわけ観光との関係がよりデリケートなのではないかと思います。白神山地の関・西目屋村長さん、このあたりをどうお考えですか?

関・青森県西目屋村長

確かに、世界遺産は文化遺産と自然遺産で違いがあると思います。西目屋村は青森県で一番人口が少ない過疎の村ですが、奥山に山菜を採りに行っていた山が世界遺産になりました。20年前のことですが、当時は取り急ぎ宿泊施設を作り、観光客が来られるようにしました。年間数万人しか人の来なかった村に、一時期数十万人が来て大騒ぎでした。

しかし、この20年間はいい勉強になったと思っています。白神山地はミニスカートでハイヒールを履いてくる場所ではない、という事を地域住民も認識し始めています。これからは求めてくる人に学んでもらえる場所にしていかなければならないと思います。そこにあった風土、歴史、地理、暮らし、自然と人との関わりがあって白神山地が生かされてきたことを、来られる方に有効に考えて学んでいただくことに力を入れていきたいと考えています。

20年前は地域振興を兼ねて、観光客が来ることだけを考えて進んだ流れがありました。世界遺産=観光地、自然遺産と文化遺産のなりたちの違いはあるが、ある日突然奥山が世界遺産になった地域があること、そこで住む人が20年間で何を学んだかということを、これから発信しながら、求めてくる人に学んでもらえる場所として、後世の子どもたちに残していきたいと思います(拍手)。

門川・京都市長

富士山の協力金や姫路城の料金値上げ案などもそうですが、ある程度の受益者負担をもってその資金を保全に充てたり、オーバー・ユースに歯止めをかけたりすることも必要だと思います。屋久島の荒木町長さん。資料で色々工夫してらっしゃる内容を拝見しましたが、一言お願いいたします。

荒木・鹿児島県屋久島町長

 屋久島はサル2万、シカ2万、人2万と言われていた、南海の孤島です。洋上のアルプスと言われ、周囲130km、直径30kmに、一番高いところで1936m、九州で7番目までの山がこの小さな島にあります。人間は減少し14千人を切っていますが、猿と鹿がどれだけいるか分かりません(笑)。屋久島では樹齢7200年と言われる縄文杉が有名ですが、縄文杉のお陰で世界遺産になったわけではなく、屋久島の20%が世界自然遺産に登録されて、その中に縄文杉があった。皆さんは縄文杉を目指して来られ、不老長寿はみなさんが望むことでしょうが、往復10時間かかり、し尿の処理が課題となっています。20年前は1万人くらいの登山客でしたが、一気に10倍くらいに増え、そのし尿を人力で搬出しています。その資金を得るため屋久島山岳部保全募金をお願いしていますが、残念ながら下山者の4割くらいしか募金が集まらないという現状です。これを100%に近づけるにはどうすればいいかということで、一生懸命やっています。

一方で、島の大きなテーマは「共生と循環」です。自然遺産ばかりに注目が集まりますが、実は電力は100%水力発電です。島は一月に35日雨が降ると林芙美子さんの書籍で書かれたように、水の宝庫です。その豊富な水で発電した電気を活かしCO2フリーの島を作り上げることをしています。今国でやろうとしている発送電分離を、島では電気事業法ができる60数年前からやってきています。こうした「共生と循環」というテーマをもって20周年を迎え、これからの20年をどうするか取り組んでいます。(拍手)


 門川・京都市長

文化遺産が自然遺産地域に学ばなければいけない点がたくさんありますね。知床・斜里町の馬場町長は野生動物と観光客の関係では色々ご苦労されていると伺っています。また資料にある「しれとこ100平方メートル運動」についても少しご紹介下さい。

馬場・北海道斜里町長

知床半島の北半分を占めている斜里町です。保全と活用の取り組みについてご紹介したいと思います。キ―・スピーチで住民の保全への関わりが重要というお話がありましたが、斜里町では昭和52年から、住民だけでなく国民の寄付をいただいて、「しれとこ100平方メートル運動」というのをやっています。開拓された跡地を買い戻し、保全をする運動です。

平成9年からはその土地で森作りをし、昔の生物相の復元にも取り組んでいます。森作りは木を植えるわけですが、木にとっての大敵は鹿で、苗木や、大きな木の皮まで食べて木をダメにしてしまいます。鹿対策は世界遺産地域内でも銃や罠等による捕獲を行っています。

ヒグマの問題もあります。観光客との軋轢がないようにしなければならない。知床には「知床五湖」という観光地がありますが、高密度にヒグマが住んでいます。「ヒグマの棲家にお邪魔する」という姿勢で安定的な利用を図るために利用調整地区を実現し、ヒグマの活動が活発な時期はあらかじめ登録したガイドを同行させなければ入ってはいけない等のルールを作っています。ヒグマに餌をやる観光客もいますが、人とヒグマの距離を縮め、人身事故につながりかねません。そうしたことで、観光客とヒグマの事故を防ぐため「ヒグマ餌やり禁止キャンペーン」もやっています。

現場の実働組織についてですが、1988年に斜里町が設立した知床財団があります。2006年には隣の羅臼町も共同出資して、現在は知床全体の野生動物の保護管理対策を担っています。また、100u運動の森作り作業から人と人との交流を含めて取り組んでおり、財団の存在が世界遺産地域の永続的保全や持続的観光に関し、とても重要な役割を果たしています(拍手)。


 門川・京都市長

地元だけでなく国民運動化する、また地元でも行政をまたいでしっかりとした組織を作られているという点でも大変先進的だと思います。有難うございました。

さてもう1つ、世界遺産の保全の観点から最後に触れておかなければいけないものに、防災に関する問題があります。例えば京都や奈良の場合、木造建築が中心ですから、防災面で最も警戒しなければいけないのは火災です。清水寺がある東山地域では、地元住民からの要望と清水寺のご協力により清水寺の山の一番高い所に学校のプール5個分の巨大な貯水槽をつくるなどの工夫をしています。しかしながら、これで絶対万全と言える答えはなかなかありません。また最近は異常気象が続いています。屋久島の雨のお話がありましたが、もう1つ日本で最も雨が多い紀伊山地では先ごろ、深刻な台風被害がありました。また宇治も少し前には大水害に襲われました。同じように地震については例えば原爆ドームの耐震性をどう確保するか、あるいは宮島に津波がきたら一体どうなるのか・・・などと考えるだけで、世界遺産を百年・千年後の未来まで保全するというのは、気が遠くなるくらいに大変な作業だということがお分かりいただけると思います。

そうした中、4年前にできた文化遺産の連携会議では、「やはり世界遺産特別法のようなものが必要なのではないか」といったことを話し合っています。世界遺産の保全は地元の頑張りだけでは決して十分ではありません。各市町村はそれぞれ一生懸命に世界遺産の保全に取り組むけれども、日本の世界遺産であるからには、国にもそれなりに特別な配慮をいただく必要があるということです。
 世界遺産の保全に関するここまでの議論につき、文化庁・文化財保護部長の山下部長、何かコメントがあればお願いいたします。


山下・文化庁文化財部長

皆さまのお話を伺い、ご苦労に改めて感謝したいと思います。一般の方もおられますので、第一部で話したこととよく似た内容をお話ししますが、これまでの議論で景観、バッファゾーンという言葉が何度も出てきました。これは世界文化遺産の仕組みで、本体遺産、守るべき本体の建物や遺跡などは文化財保護法で国の指定を受けてもらうと強力な規制がかかるので安心ですが、最近は周辺に緩衝地帯を設けようという動きになっています。この緩衝地帯の保全に関しては比較的緩やかな規制になっており、景観法や景観条例に基づく景観計画によるコントロールを採用していただく場合が多く、各自治体の責任で運用してもらうことになっています。一方、規制が緩やかですので、その分、開発の圧力が生じやすくなり、自治体の方は苦労されています。そうした意味でも世界遺産法が必要という声が国会でもあります。法の必要性について私がコメントすべきではないかも知れませんが、国としても責任を持って、トータルで施策を立て措置を講じていかなければならないと考えています。

海外では景観破壊を理由に、世界遺産の取り消しが行われた例があります。ドイツのドレスデンのエルベ渓谷は一旦世界遺産に登録されましたが、渋滞を緩和するための橋を架けてほしいという地元住民の要望があり、住民投票を行って橋を架けることになり、世界遺産リストから削除されました。これはユネスコでも深刻な問題になりました。以来、国際イコモスからも登録を目指しているところには、住人の理解(インタープリテーション)をどのように具体的に取り付けていくかをきちんとしてほしいという要請が強くなっています。

これから登録を目指されているところについては、各自治体の取り組みを参考にして、文化庁、関係省庁にも相談いただき、こちらもそれを一生懸命サポートしていきたいと考えています(拍手)。

(第2のテーマ:持続的観光)

門川・京都市長

有難うございました。では2つめのテーマ、持続的観光をどう推進していくかに移っていきたいと思います。「イベント」「交通」「おもてなし」など、各地域、様々なお取組みを工夫されていることと思います。その一端をご披露願いたいと思います。まず沖縄の浜田村長。先ほど富士河口湖町長さんからもイベントのお話が出ましたが、中城村では世界遺産そのものを活用したイベント等を盛んに実施してらっしゃると聞いています。資料にある中城城跡でのプロジェクションマッピング等についてご紹介いただけますか?


 浜田・沖縄県中城村

観光の面からのお話させていただきます。沖縄と言えば観光。海、空、いろいろありますが、世界遺産に指定されているところへは、観光客が足をのばしてくれないという悩みがあります。那覇の首里城の一人勝ちです。これを何とかしたいと思い、中城城跡の城壁にプロジェクションマッピングをやりました。お金もかかりますが、観光客を何とか増やさないといけないという目標を持って、映像だけでなく、実像も兼ね、沖縄のオペラと言われている組み踊り、エイサーなどをマッチング、コラボしました。中城城を築いた護佐丸という武将がいます。反逆にあい殺されてしまう悲劇の武将ですが、ストーリー性があるため、その悲劇をプロジェクションマッピングのモチーフに使いました。非常に好評でした。去年11月に行い、好評につき今年も来月2223日に行います。沖縄は夏は当然海、観光客もごそっとやって来られますが、暖かい冬も我々が何とか担ってみようということで、こうした取り組みを一生懸命やっています。11月末でも薄着一枚で、屋外で見られますので、機会があれば是非お越し下さい(拍手)。

門川・京都市長

有難うございます。実はこのシンポジウム終了後、各市町村長さんを特別に二条城にご案内することになっているんですが、京都でも二条城で本日夕刻より、世界遺産登録20周年記念の「アクアリウム城」というイベントを始めます。障壁画などの修復のための資金を捻出するために、MICE利用などによって資金を調達しようということで、入場料の一部が二条城や祇園祭の鉾の復元、また世界文化遺産地域連携会議の運営に回る仕組みになっております。

 イベントの先進事例に続き、どう観光客に世界遺産を楽しんでいただくか、交通面での工夫をご紹介いただきましょう。交通渋滞解消という面で、パーク・アンド・ライドを最も徹底されているのは大田市さんではないかと思います。竹腰市長、いかがでしょうか?

竹腰・島根県大田市長

石見銀山遺跡が世界遺産に登録されたのは2007年、7年前です。産業と自然の共生が最大のポイントとなり、世界遺産に登録となりました。したがって遺跡は非常に良好な形で残っています。約500年前の地図がそのまま使えるくらいの、タイムカプセルのような遺跡です。また、豊かな自然の中に遺跡があると同時に住民の暮らしの場があり、それらが一体化した価値を持った遺跡が石見銀山です。谷合の細長く狭い地域に、周辺含めて約400名が暮らしています。街並みは重要伝統的建造物の保存地区になっています。

 この狭い地域が世界遺産に登録となると、どっと観光客が押し寄せて、大変な混乱を来たすことが心配されました。
それ以前にイベントをして、瞬間的に2000人を超えると大変な状況になることはあらかじめ分かっていましたから、町並みから離れた場所に駐車場を設け、そこでバスに乗り換えて遺跡の方へ来てもらう、パーク・アンド・ライド方式を実施することにしました。実施に際しては世界遺産登録直前のゴールデンウィークに実験的に行い、これはうまくいったのですが、世界遺産登録となって以降の7月、想定以上の観光客が来て、やはり大変な混雑を来たしました。暑い中、バスに乗れない観光客が長蛇の列をなすという状況になりました。何とか改善しようと、まずバスの増便をはかりましたが、そのことによって狭い地域でバスの往来が頻繁になり、騒音や排気ガス、振動や交通安全などの問題が起きました。住民生活を守ることと、観光客の利便性を図ることが、二律背反となった訳です。そこで、観光客の利便性面ではなく住民の生活を守るということを最優先に、石見銀山は豊かな自然の中にあるので、ゆっくりと歩いて遺跡を巡っていただくという視点から見直しをおこないました。遺産地域内へのバスの乗り入れは事業者に理解いただいて中止し、パークアンドライド、さらに進んでパークアンドウォーク。つまり車を置いてから歩いて、あるいは自転車、タクシーを利用していただくスタイルとしました。

こうしたことは、住民のみなさんのご理解があって、はじめて実現したことです。住民のみなさんは、住民憲章も作られ、有料駐車場も個別に経営されず、景観も守るなどの自主的・主体的なご協力もいただけたこともあって、そのような観光スタイルが定着をしました。ゆっくりと歩き、石見銀山の自然に親しんでもらいながら、観光を楽しんでいただく。これが石見銀山の観光スタイルとなっています。(拍手)。


 門川・京都市長

色々とご苦労があったのですね。さて、誰もが便利に世界遺産をめぐることができるという面では平泉の世界遺産巡回バスがナンバー・ワンかも知れません。青木さん、この点含めお話下さいませんか?

青木・岩手県平泉町長

平泉の世界遺産は、国宝「中尊寺金色堂」や特別名勝「毛越寺庭園」をはじめとする5つの資産です。6年前は日本国で推薦した中で、唯一登録延期となった資産です。その3年後、今から3年前に登録となりました。311日の震災の年です。その626日に登録となりましたが、喜んでいいのかどうか、気持ちの上で揺れた時期でもありました。しかし、東北に元気を取り戻せる要素が数少なかった中で、我々が元気を出して発信しなければ、東北の復興はない。まさにこの世の浄土、平等を説いた藤原文化の象徴たるものを、東北、北海道唯一の世界文化遺産として、発信していかなくてはならないということで、現在に至っています。

5つの資産は、平泉町内だけで構成され、毎年220万人前後の観光客が来ております。世界遺産登録後は駐車場の確保、道路の渋滞をどう緩和するかが大きなポイントになりました。その中で、駐車場を分散させるという目的からバス会社の協力により、一日通常は30分に1本だが、祝祭日は15分間隔で5つの資産を巡回する「るんるんバス」を運行しております。料金はを大人150円、子ども80円、乗り放題400円となっております。当初は利用者が少ない状況が続いておりましたが、最近は増加傾向にありうまく回りだしました。タクシー会社からはルンルンバスのお陰でタクシーが流行らないと苦情が来ましたが、こちらに対しては観光案内をする「語り部タクシー」の乗務員を育成しています。是非、奥州平泉にお越し下さい(拍手)。


門川京都市長

有難うございます。持続的観光やおもてなしの面では、自然遺産の方が先進的かも知れません。知床・羅臼町の脇町長、食やエコツーリズムなど、工夫されていることはありますか?

脇・北海道羅臼町長

知床の東側、羅臼町です。日本の領土問題3か所(竹島、尖閣列島、北方領土)の北方領土を目の前にした町で、人口わずか5600人の漁師町です。今、知床は10月はじめですでに雪化粧です。もう冬であり、京都とは温度差が10度近くあると思います。

食やエコツーリズムということですが、食については、日本一高くて美味しい(笑)羅臼昆布、ホッケ、鮭・・・とにかく水産の町です。その中の世界遺産ですが、森は海の恋人と言われています。山があって森があって川があって海がある。この食物連鎖の中で水産物がたくさん獲れるということです。町に住む5600人の漁民は、あえてこの自然遺産を保全すると大上段に構えるのではなくて、自然の恵みの中で、暮らしの中で自然が保護されていきます。逆に言えば、自然を損なうと暮らしは成り立たなくなるということです。

エコツーリズムについては、世界遺産登録の際にIUCN(国際支援保護連合)から、自然遺産地域に相応しい利用形態を確立するために、エコツーリズム戦略を策定するように言われ、それに基づいて国を含めて関係機関と組織を作って取り組んでいます。例えば、修学旅行生の受け入れということで体験学習推進協議会を作り、そのメニューに外来種(アメリカオニアザミ)の駆除、ホエールウォッチング体験、羅臼昆布のツマミを作って、修学旅行生がカットして自分の家へ送るといった取り組みをしています。

私たちは自然の恵みの中で、生産活動をし、生活をしています。観光客に来てもらうのも有難いことですが、それ以前に、ここに住む我々が登録や生活に誇りを持ち、頑張っていきたいと思っています(拍手)。


 門川・京都市長

有難うございました。続いて連携や外国人観光客誘致について伺いたいと思います。知床や富士山での指定地内の連携のお話がありましたが、さらに進んで各指定地どうしの連携を考えると、最もうまくいっているのは原爆ドームと厳島神社ではないかと思います。廿日市市副市長の原田さん、外国人観光客誘致のこと含め何かコメントをお願いします。

原田・広島県廿日市市副市長

先ほどから景観や交通が問題になっていますが、私たちも渋滞や景観に苦労しています。将来のためコンペを実施するなどの働きかけをおこなっています。

また、広島県の2つの世界遺産、原爆ドームと宮島は航路によっても結ばれておりまして、広島からの航路による来島者数は本市に408万人お越しいただいたうちの153千人です。世界遺産航路以外に2航路あり3航路あります。

さて、周辺地域との連携についてですが、現在5つの協議会、推進会議と連携して、いろんなプロモーション、観光事業の取り組みをおこなっています。一つは広島、宮島、(山口県の)岩国によるプロモーションです。二つ目は広島ベイエリア周遊観光協議会。これは当市、広島市、呉市、江田島市が一緒になって取り組んでいます。三つ目の瀬戸内松山ツーリズム推進会議は瀬戸内海を越えて、松山市、関連団体の瀬戸内海汽船等も含めて行っています。

四つ目・五つ目はインバウンドに関わる連携です。今年度、人気アニメ「名探偵コナン」(台湾、韓国、香港等で有名)を題材として、広島市と連携し、外国人を対象とした「コナンミステリーツアー」を実施しています(71日〜来年228日)。また世界遺産や外国人観光客誘致に関する連携では広島市と、観光アプリによる外国人対応を検討中です。これは広島、宮島、岩国観光ナビとし、スマートフォン用アプリを総務省の中国総合通信局と一緒に取り組んでおり、概ね12月には設置できる予定です(拍手)。


 門川・京都市長

インバウンドのお話が出ましたが、9月には「世界遺産観光地サミット」が高野山で開かれました。平野町長、そのご報告も含め一言お願いできますか?

平野・和歌山県高野町長

先月、観光関係の世界遺産サミットをして、数々の自治体関係者に来ていただき、いろんな問題が議論されました。

高野山については古くから信者、参拝者、観光客がたくさんお越しになっていますが、登録になって今年で10年、欧米系の観光客が非常に多くなったのが特徴です。観光で一番気を付けるべきは住んでいる者、生業をしている者が、来てもらう方にお金を落としてもらう発想が先行してしまうことだと考えています。当町は弘法大師により9世紀初めに開かれましたが、まず住んでいる者、その場所で営業する土産物屋等が、その地の歴史をきちんと知ることが大事です。高野山には金剛峯寺があり、墓地があり、金剛峯寺の庭に住まわせてもらっている。庭の中に役場もあれば商工会もあり、色んな機関、大学や病院も建っています。欧米の方に聞くと、高野山へ日本を感じに来たとよく言ってくれる。ざわざわすることもなく、匂いと音と空気、心を感じに、この山にお越しいただいているということです。

では、外国人観光客をどう受け入れるかということですが、住民含めみんなで取り組んでいかなければいけません。住民が外国人に親切にするというはもちろんですが、例えば欧米系の方々が来るときに困るのが両替ができない、Wi-Fiが使えないとかいったことがあります。そうした面は観光庁、関係機関とも、通信関係、両替関係、免税商店といった協議をしていくことが必要になります。

来年は空海が高野山を開いて1200年になります。50日間大法会が開催されます。みなさんもいつか魂が抜かれた時には高野山に行くが、生きている間にも高野山に来ていただければ(笑)。

連携ということで、世界遺産サミットが今後も毎年1回各地で開かれて、問題点を洗い出し、交流を深めて行けるようになることを期待します(拍手)。

 門川・京都市長

 有難うございました。大津の越市長、近畿はとかくバラバラだと言われますが、琵琶湖疏水舟下りや奈良を交えた取り組みなど、世界遺産地域間の連携が少しずつ進んできたと思います。大津関係の「連携」がどんな感じで進んでいるのか、一言ご発言願います。

越・滋賀県大津市長

今日はなぜ大津市がいるのかと思われているかもしれませんが(笑)・・・この間「そうだ、京都へ行こう」キャンペーンのポスターがあり、それをよく見ると比叡山延暦寺でした。比叡山延暦寺は京都市ではなく実は大津市です!(拍手)

でも一方では、世界遺産古都京都の文化財に大津市が載せてもらっているということを大変有難く思ってもいます。京都に来られる方に大津にも来てもらうよう、連携を強めて便乗していこうと思っています。京都市、奈良市、大津市では「みやこサミット」というのを始めています。連携を深める、具体的には、通訳のコールセンターを一緒にやったり、ボランティアガイドの交流をしたりということから始めています。今日は世界遺産ということで、多くの市や町から来られていますが、こういった機会に、世界に向けてこの世界遺産がある市や町でも相互の連携をぜひとも深められればと思います(拍手)。


 門川京都市長

これからは是非、世界遺産の全国的な連携も考えていきたいですね。「世界文化遺産」地域連携会議でどんなことを話し合っているか、ちょっと井戸さん、説明して下さい。

井戸(歴史街道推進協議会)

「世界文化遺産」地域連携会議のお世話役の一人、歴史街道推進協議会の井戸と申します。

向こうのパワーポインターをご覧いただきたいんですが・・・東京オリンピックの開催により、世界からの目がこれまで以上に日本に注がれることになります。そこで「世界文化遺産」地域連携会議では新幹線と地方空港を使い、連携して日本の新しいゴールデンコースを作れないかという話を始めています。

現在の外国人観光客のゴールデンコースは東京から京都、大阪。その拡大版が広島を通って九州ということになるのでしょうが、新幹線という日本が世界に誇る技術をもってすれば、例えば東北に関しても、平泉は東北新幹線の一ノ関駅から約10分で行けるのです。あるいは日光には宇都宮から40分で訪問できます。また3月には北陸新幹線が金沢まで来ますが、金沢から白川郷まではバスで50分です。

・・・ということで、観光庁長官もおられますが、ここにいるみなさんがうまく連携をされて、国を挙げてこのゴールデンコースの拡大版をアピールしていけば、東京にお越しになる外国人に、東京だけでなく日本各地をお楽しみいただけるのではないかということを国に対して提案し始めているところです。




門川・京都市長

 有難うございました。世界遺産と持続的観光に関するここまでの議論につき、久保・観光庁長官、何かコメントをお願いできないでしょうか?

久保・観光庁長官

一言で言えば非常に勉強、参考になりました。

私どもの方に日本の各地方から、自らの持つ自然や文化的施設などの資源を活かして地域振興、地方活性化、観光振興ができないか、という相談がたくさんあります。

そういう中で世界遺産を抱えている首長さんたちは、昔からその利活用、保全、景観の関係を実地に体験され、整理され、課題解決をされてきたということだと思います。

今後の地方創生、地方活性化の中で、私どもも世界遺産を抱えるみなさんが、長年蓄積されてきた物を改めて勉強させていただきたいと感じました。

そうした意味でもこのサミットを継続的に続けていただきたいと思います。宣伝になりますが、観光庁では文化庁、農水省、さらにはレビックという企業再生組織と連携協定を結んでいます。何かあればそういう観点でもお役に立つことができるのではないかと思います。

門川・京都市長

財務省との連携協定も結んでいただきたいんですが(笑)・・・今後とも是非、関係省庁の垣根を越えたご支援を期待します。最後に松浦さん、議論全体を通し一言いただけますでしょうか?

松浦・ユネスコ前事務局長

お話を伺い、改めて地方自治体行政担当の責任者が問題意識を持って取り組んでいらっしゃることを、心強く感じました。

同時に、景観に関してももっと広い意味で、本来の顕著な面的な価値、本体の価値を維持していくために、バッファーゾーンのみならず、その周辺の景観を維持していくことが重要ということをもう一度申し上げておきたいと思います。

防災の話も出ましたが、世界全体で国土05%の日本に、世界の10%の自然災害が集中しています。自然災害では人を保護することが先ですが、同時に文化財、世界遺産になっている文化遺産の保護をしっかり考えていただきたい。火災対策もしっかりやっていただきたいと思います。景観というのは都市化、開発との兼ね合いですが、都市化、開発という点からいうと、景観だけでなく広い見地から考えていかなければいけません。

今日の議論でもお分かりの通り、各地域とも個性豊かな中に共通の問題意識をもっておられますので、こういう場を通じてお互い経験を共有し合って、いい例があれば学び、一層地元で保全を追及していただければ有難いと思います。世界遺産サミットが来年以降も引き続き開催されることを願っています。

門川・京都市長

有難うございました。さて、サミットの最後に、これだけのメンバーが一堂に会すのは初のことでございますので、「京都宣言」案の採択につき、ご審議いただきたいと存じます。

スクリーンをご覧ください。

(京都宣言がスクリーンに)

(会場への文書配布:京都市)

(司会読み上げ)



 2014 世界遺産サミット「京都宣言」
 
 わが国は、悠久の歴史と四季豊かな自然、日本人独特の精神性に培われた有形無形の文化遺産、自然遺産を数多く有しています。これらは数々の困難を乗り越えながら今に引き継がれ、我が国の歴史や文化を正しく理解するうえで、また、日本文化を広く発信するうえでなくてはならない大切な我が国の財産です。
 国内18 の世界遺産はその象徴的存在で、顕著な普遍的価値を有
する日本文化の神髄とも言えるものです。
 私たち「世界遺産サミット」の参加者は、こうした世界遺産の重要性を踏まえ、その保全と魅力発信について幅広い意見交換を行い、成果として次のことを宣言します。

一 世界遺産は、先人から受け継いだ人類の宝物であり、その価値を再認識し、これを守ることの大切さを確認し、地域をあげて守り、後世につなぐ取組を進めます。

一 世界遺産は、日本文化の象徴として内外の観光客にとって魅力的な資源であり、地域間連携を深めながら、この魅力を活かす取組を進めます。

一 2020 年に開催される東京オリンピック、パラリンピックは、世界中から人々が集まり、日本文化のよさを発信するまたとない機会です。この機会に世界遺産を守りつなぐ取組とその魅力を広く発信します。

一 世界遺産の持続可能な保全と活用に向けた取組を推進し、文化芸術立国、観光立国を目指す我が国の牽引役として役割を果たします。


 平成26 年10 月24 日
 世界遺産サミット参加者一同


門川・京都市長

いかがでしょうか?

(拍手)

有難うございます。


司会

門川会長はじめ各市町村長様、そして松浦顧問、久保長官、山下部長、お疲れ様でした。本日を大きな一歩に、世界遺産各地の連携が進み、その永続的な保全や持続的な観光振興が進められることを祈念したいと思います。さて、この「世界遺産サミット」、2回目は和歌山県での開催が決まっております。和歌山県の山西観光局長より、次回開催地として一言ご挨拶願います。

(山西・和歌山県山西観光局長)

司会

最後に主催者を代表し、日本観光振興協会副理事長・齋藤芳夫より、閉会のご挨拶を申し上げます。


 (閉会挨拶:齋藤・日本観光振興協会副理事長)





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